恋 〜白の章〜 第10話

「分かった、話すよ。弥生ちゃんにだけは私のことを・・・私だけのことを全部、知っていて欲しいから。」
羽鶴は半ば開き直ったような顔をしていた。
「私が中学生の頃、お母さんが病気で死んだの。それから、お父さんがおかしくなってね。毎日、私は暴力を受けていたわ。」
「・・・。」
「ただ殴る、蹴るだけじゃない。もっと酷いことも・・・ね。」
もっと酷いこと・・・あぁ、そういう意味ね。
性的虐待、と羽鶴は言いたいのだろう。
テレビドラマやワイドショーのような展開ね、と弥生は思っていた。
「私は毎日のように、お父さんに抱かれた。その内に、私は思い始めてた・・・死にたいって。でも、出来なかったの。悔しかったわ、どうして私がそんな目に合わされるのかって。手首を切っても、死ねなかった。まるで、私の意志の弱さを見せるように・・・。」
そう言いながら羽鶴は手首の傷痕を見せた。
以前、弥生が何かの拍子に見たものだった。
他人に強みを見せる人間は、過去に弱さに負けそうになった人間なのだろうか。
羽鶴が生きる意思を持っているから、私にも生きてほしかったのだろうか。
「私はお金も無くて、食べるものも無かった。そのために私が何をしたと思う?」
そんなこと、知っているわけでもないのに。
私が言い当てなければいけないのかしら。
弥生が渋っていると、羽鶴は言った。
「万引きから始まって悪いことをしないと生きていけなくなって・・・最後は・・・ウリもした。」
さすがの弥生でも、その言葉だけは心に突き刺さった。
「お父さんは家に帰ってこなくなったから、私は自分の力で生きていかなきゃいけなかった。学校にも行かなくなって私は毎日、警察のお世話になってたの。」
「・・・。」
「その噂をどこかから聞いてきた母方のおばあちゃんが私を引き取ってくれて、ここに転校してきた。お父さんから逃げるようにして、私はもう一度やり直そうと思ったから。」
あぁ、そうか。
それでだいたい、状況が理解できたわ。
「お父さんが、こっちに来るのはあらかじめ聞いていた。、だから、あなたは私の家に泊まって身を隠していた。でも、家に帰ったときに居場所をつきとめたお父さんに昔と同じような目に合わされた・・・というところかしら。」
羽鶴は頷いた。
「私、負けなかった。どれだけ殴られても、蹴られても、どれだけ・・・。」
最後は言葉になってはいなかった。
弥生は、ほとんど顔色一つ変えないで話を聞いていた。
哀れむつもりは無い。
それで同情を求めているわけではないと思ったから。
泣かれては困る。
私も貰い涙を流すつもりは無い。
ふぅ、と溜め息を吐きながら。
「今でもウリをやってるわけじゃないでしょう?」
「当たり前よ。」
「もう、警察のお世話になるようなことはやめたんでしょう?」
「うん。」
弥生は少しだけ微笑んだ。
「じゃぁ、もう話すことは無いわね。」
「えっ?」
羽鶴は驚いているような声を上げた。
私は彼女に捨てられたんだ。
やっぱり、私の過去を洗い流してくれるような人は・・・。
肩を落としながら羽鶴は意気消沈していた。
「それはもう終わったことなんでしょう?私の知ってるあなたは、過去も今も全部含めて今、私の目の前にいる。私はそれで構わないし、何かを変えてもらうつもりはないわ。」
弥生は羽鶴の頬に貼られたガーゼを撫でた。
殴られた頬の膨らみが痛々しく思えた。
「もうこれで、私たちはお互いに隠していることが無いわ。私は過去に拘るよりも、先を見ていたい。いつ発作が悪化するか分からないのだから、一日でも先の未来を考えていたい。」
弥生は優しく羽鶴を抱き締めると、ぎゅっと力を込めた。
「もっとしっかりしなさい。どうしても辛くなったら、私が・・・。」
「私が?」
羽鶴は弥生の胸の中で彼女の顔を見上げた。
弥生は頬を赤くしながら目をそむけていた。
私は何を言おうとしていたんだろう。
考えれば考えるほど、恥ずかしくなってくる。
「もう知らない。」
ぱっと手を離そうとすると、逆に羽鶴が弥生の胸の中に飛び込んできた。
「ありがとう、弥生ちゃん。これからも・・・私の傍にいてね。」
誰でも最初から強い人間はいない。
みんな、挫けて、挫折して強くなるんだ。
私は病気にさえ負けなければ、これからも生きていけるだろうか。
羽鶴を抱き締めながら、弥生は明日の自分を見据えているのだった。
羽鶴の父親は、もう二度と彼女の前に顔を見せなくなったらしい。
それも全て、何をされても負けなかった羽鶴の強さが勝ったからだ。
これで、また彼女に振り回されることになるかしら。
煩わしさとともに、微かな嬉しささえ覚える弥生だった。