恋 〜白の章〜 第13話

その夜、弥生は退院して家に帰った。
母親がひどく心配していたが、いつもの発作のことだ。
病院の雰囲気が嫌いだから。
もう、ここには来たくないから。
帰りの車の中で、弥生は口を固く閉ざしていた。
だから彼女の母も何も言わずに車のハンドルを握っていた。
「お母さん・・・あのね、今日・・・お爺ちゃんが来たの。」
小さな声で弥生は言った。
「・・・そう。」
母も、弥生の身に何があったかを悟ったようだ。
「弥生の好きにしていいのよ。あなたが進みたい道を選びなさい。お母さんは、弥生が選んだ道が正しいと信じているから。」
その言葉を聞いて、弥生は鋭い目で母を見た。
「どうして・・・どうして、そんな言い方をするの?私はお母さんの子供なのよ。一緒にいたいに決まっているじゃないの。私がお爺ちゃんたちに付いていってもいいの?私たちは二人だけの家族じゃないの?」
身振り手振りを交えながら弥生は声を荒げていた。
それでも母の表情は何一つ変わっていなかった。
「私は弥生の進む道を信じているだけよ。お母さんが決めることじゃない、弥生が自分で自分の人生を決めなさい。絶対に・・・後悔しないようにね。」
返す言葉が無くなっていた。
私の人生だ、私が決めなきゃいけない。
それぐらいは言われなくても分かっている。
一緒に歩くと姉妹にしか見られないくせに、娘のことをそこまで考えていてくれているとは思わなかった。
「弥生、今日の晩御飯は何にする?」
弥生は、いつもの笑顔に戻っていた。
学校のクラスメートには見せないような顔だった。
「お母さんの作るものだったら、何でもいいよ。」
二人は笑顔を交わしながら帰路についた。
ささやかな二人だけの夕食。
弥生はそれで十分だった。
大切な家族と一緒にいられる、それだけで幸せだったから。
食事も終わり、弥生は自分の部屋へ入っていった。
「ふぅ・・・疲れた一日だった。」
壁に掛けられたカレンダーを見ながら。
「夏休みも、もうすぐ終わるわね。」
今年の夏は、それなりに楽しめた方だと思う。
羽鶴に引っ張りまわされていただけのような気もするが、悪くは無かった。
本棚から読みかけの小説を引っ張り出す。
内容はありきたりなSFチックな話だ。
作者が続きを渋っているので、弥生も続きは読まないようにしていた。
続刊との間の時間が生まれるのが嫌いらしい。
「もうちょっと、やる気を見せてほしいね。」
その時だった。
家の電話が鳴り響く。
弥生のこめかみが僅かに痙攣した。
「またか・・・前にも、こんなことがあったじゃないの。」
まさか、あのコからの電話かしら?
母が目を覚ますと思っていたが、スヤスヤと居間で寝息を立てていた。
うちの母親は鈍いのかしら、と思いながら弥生は居間の電話まで急いだ。
「はい、白河です。」
不機嫌を隠しながら弥生は電話に出た。
「もしもし、弥生ちゃん?」
「・・・それじゃ。」
電話口の相手は予想通りに羽鶴だった。
反射的に弥生は電話を切ろうとしていた。
「ちょっと待ってよ、弥生ちゃん。少しは私の話を聞いてくれても・・・。」
「私は、あなたのお陰で機嫌が悪いの。」
「何で?もしかして、忙しかったの?」
弥生は返答に詰まった。
「まぁ、色々とね。」
その一言で全てを済ませていた。
「弥生ちゃん、明日って暇がある?」
頭の中で明日のスケジュールを確認する。
別にこれといった予定は思い浮かばない。
「特に無いけど、嫌よ。」
素っ気無い返事を弥生は返した。
「えー、どうしてよ?」
予想通りの返事が返ってきた。
「暑いから外に出たくないの。」
「もっと健康的な生活をしようよ。」
「結構よ。」
私は無理強いをされるのが嫌いなんだ。
少しは私と一緒にいるんだから、それぐらいは分かりなさい。
「じゃあ、決めた。私が弥生ちゃんの家に遊びに行くわ。」
「はぁ?」
思わず、弥生はおかしな声を上げていた。
「弥生ちゃんは外が暑いから出たくないんでしょう?私が遊びに行くから、外に出る必要は無いじゃない。」
「それとこれとは、言ってる意味が違うわよ。」
「・・・ダメなの?」
少し寂しそうに、かなり残念そうな羽鶴の声。
「あ〜、分かったわよ。勝手にすればいいじゃないの、その代わり、私は家から一歩も出ないからね。」
「OKよ!」
急にパッと明るくなった羽鶴の声。
また私はワンパターンな作戦にやられたのね。
暇、といえば暇だったから、いいか。
弥生は部屋に戻りながら思っていた。
今の私が、私でいることに間違いは無い。
私の人生ぐらい、私の勝手にしてやる。
まだ先が見えない未来を、弥生は頭の中でイメージしていた。