恋 〜白の章〜 第17話

胸が苦しい。
弥生は右手でシャープペンを持ち、左手で胸を抑えていた。
何とか顔では平静を装ってはいるが、身体は悲鳴を上げ続けていた。
授業の終了のチャイムが鳴った。
やっと午前の授業も終わった。
生徒たちはグループに分かれると昼食を始めていた。
弥生と羽鶴も昼食は仲良しグループに加わる。
羽鶴が自分の弁当を持ち席を立った時だった。
ふと弥生の席を見ると、まだ席に座ってグラウンドを眺めていた。
「弥生ちゃん、もうお昼だよ?」
声を掛けても返事が返ってこない。
「・・・私はいらない。」
「どうして?」
「だって、今日は何も持って来なかったんだもの。」
弥生は手で『あっちへ行け』と指図していた。
さすがの羽鶴も頭に血が上り始めていた。
「ちょっと弥生ちゃん・・・。」
強めの口調で羽鶴が言った時。
おもむろに弥生が席を立った。
鋭く冷たい視線。
時折、弥生が見せる表情だった。
何も言わずに羽鶴の横を通り過ぎる。
「どこに行くの?」
羽鶴がそう言っても、弥生は答えなかった。
無言のままの弥生の背中を羽鶴は見送っていた。
「もう、知らないんだから・・・。」
羽鶴は手にしている弁当の包みを握り締めながら、遠ざかる弥生の後ろ姿を見つめていた。

屋上には涼しい風が吹いていた。
弥生は屋上に出ると、フェンスにもたれながら外の風景を見ていた。
風が弥生の長い髪を靡かせる。
澄んだ青空を見上げると、苦しさも忘れたくなる。
何もかも忘れたい。
どうすれば楽になれるのだろう。
生きたい。
ずっと思い続けてきた。
諦めるわけじゃない。
でも、ついに来てしまった。
あの子は『それ』を知ったらどうするだろう。
悲しんでくれるかしら。
泣いてくれるのかしら。
思わず弥生は笑いが込み上げてきた。
『きっと、みんな誰だって、悩んで、苦しんで、傷ついて、悲しんで、強くなっていくんだよ。』
この前、弥生が読んでいた小説の一文だった。
随分と強がって生きてきたような気がする。
どんなことでも、遅かれ早かれ『終わり』は必ずやって来る。
ただ『それ』が遅かっただけだ。
「それでいいの?」
不意に後ろから掛けられた聞き慣れた声。
「もう諦めるの?まだこれからじゃないの?」
弥生が振り返ると、そこには羽鶴がいた。
あなたの一言が私を追い詰める。
気持ちだけは負けないようにしていた。
「・・・駄目なの。」
力無い笑顔で。
弥生は微笑んでいた。
「命って、火のついている蝋燭と同じよ。」
弥生は小さな声で言った。
「蝋燭は燃え尽きる寸前に、最後の力を振り絞るように燃えるでしょう?それが今の私。」
「そ、それって・・・どういう意味なのよ?」
焦るような声をしている羽鶴だった。
言ったそのままの意味よ。
弥生は心で呟いた。
「今まで、短い間だったけど・・・ありがとう。私の身体・・・もう限界よ。」
弥生がそう言うと、羽鶴は彼女に駆け寄った。
「う、嘘でしょう?そんなこと言って私を困らせようとしても・・・。」
「私の身体ぐらいは、私がよく知ってる。普段よりも酷い発作が起きたら覚悟するように医者から言われてたの・・・今朝、ついに『それ』が来たわ。」
嘘だと言ってほしい。
二人の間に秋風が吹き抜けた。
弥生の頬に一筋の涙が流れた。
『死にたくない。』
口には出せなかったが、涙は弥生の心を物語っていた。